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【うつ病遍歴⑥】そして私はデイケアへ(後編)

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デイケアに通い(前編)、朝起きて昼過ぎに帰るという生活リズムが整い始めてきたので、私は割と話す仲になった中退くん、アル中さん、ヘビースモーカーさんたちと擬似労働をすることになりました。

 

カフェは目の前のスーパーで買ってきたものを売ると言う簡単なお仕事。

ほかはエクセルで売り上げの経理をつけるような感じです。

 

私がまず雑用としてやらされたのが、入院病棟でのポスター貼り。

 

スタッフ引率の元、何人かと連れ立ってデイケア棟のバックヤードから入院病棟へと向かいます。

病院の裏側をみることができたのはちょっと興味深い経験でした。

 

各階への入口にはナースの詰所みたいなものがあり、そこで許可をもらわないと鍵を開けてもらえないと言う作りでした。

 

まずはエレベーターで最上階の5階に行き、階段で降りながらポスターを貼ろうと言うことになったのですが、入った病棟は窓が締め切りだからか淀んだ空気が立ち込めているのを感じました。

 

何人もの入院患者が各フロアにいるのですから空気が悪くなるのは当然のことです。

 

それでも一般の病院と違い、飛び降りとかの危険性があるからか、簡単に窓を開けられない事情があるのかもしれません。

 

患者さんたちは下の階にいくほど、明らかに病状が重そうな様子でした。

通路に何もしないでフラフラと立ち尽くしているだけ・・・という患者さんが増えていくのです。

 

一階の外来のフロアに戻り、デイケアに戻った私は、今までなかった経験にすっかり酔ってしまい、どっと疲れがでました。

 

ただ、もとから表情の薄い私は、あまり他人から感情の起伏がわかりづらい人間でした。

そういう疲れも人にはバレていないだろうな、と思って帰宅の時間を待っていると、やはりデイケアのスタッフはプロなわけです。

 

「はじめて、だったから疲れたと思うけれど、気をつけて帰ってね」

 

と言われました。

 

私は表情が薄い上に、健康だった頃からシュールな冗談が好きでした。

 

はい。電車に飛び込まないように気をつけます

 

私はいわゆる「うつ病ブラックジョーク」のつもりで言ったのです。

私の場合、そのくらいの冗談が言えるくらい調子が良かったと言えるのですが、スタッフには本気で心配されました。

 

下手な冗談は本気でやばいんだ、と実感しました。

本当に飛び込まれて死なれたら大変ですもんね。

 

私は寝るときにそのまま目覚めないほうがいいなーと思うことは多々ありますが、自殺や自傷行為関係には全く手を出しませんでした。だって怖いですもん。死ぬのとか自分を傷つけるの。きっと痛いじゃないですか。

 

 

そんな感じで擬似労働初日を終えた私は、その後、数ヶ月間デイケアに通い、擬似労働を続けました。

 

職場でいじめ抜かれていた私は、単純な作業をするだけでスタッフにめちゃくちゃ褒められるという経験をしました。

 

社会人になって以降、やることなすこと全否定されていた私は肯定されるという喜びを久しぶりに感じた気がします。

 

ただ、それはあくまでデイケア内の閉ざされた環境でのことだともわかっていました。

自己肯定感は一時的に満たされるかもしれないけれど、限定的なものだと。

 

会社に戻ったら、病気持ちと言うことである程度簡単な仕事から始めさせてもらえるかもしれませんが、結局、テーブルを自主的に拭いて回ったからといってめちゃくちゃ褒められる、なんてことはありえないのです。

 

 

デイケアは生活リズムを直すのにはとても役に立ったと実感できます。

ただ、擬似労働はあくまで擬似で、暇つぶし程度のものだったと思います。

 

私の表面上の病状は良くなったのかもしれませんが、深層心理といいますか、心の奥底での考え方とか、根本的な解決にはぜんぜんなっていなかったのです。

それはメンタルクリニックの薬も同じでした。

 

私はきっと会社に戻っても、休職以前のストレス負荷、いやそれの数分の一の負荷でもまた調子を崩すだろうな、とおぼろげに思っていました。

 

 

それでも、生活リズムがもどり、元気になった私はデイケアを卒業することになったのです。

 

さらに次のステージとして一人暮らしも再開してみることになりました。

会社近くに借りているアパートは一年半も空き家のまま借りっぱなしです。

 

ということで実家の近くにあるメンタルクリニックからも転院することになりました。

 

会社近くの病院に最初に通って過呼吸になり、調子をさらに崩した私は、その周辺のメンタルクリニックに恐怖感と不信感を持っていました。

 

そこで、わざわざ先生自ら自分に近い治療法の病院を探してくれ、電話で話をしたところにいくことになったのです。

 

再転院先は初診は数ヶ月先です。

 

私はその間、デイケアへ通う頻度を徐々に減らしていきました。

 

そして、デイケア最終日、「ありがとうございました」とスタッフさんや、仲良くなった患者の方達に挨拶して私は建物を出ようとしました。

 

そのとき、仲の良かった患者の一人に連絡先のメモを渡されました。

 

「また、遊びに来ますよ」

 

私はそう言ってデイケア棟を後にしました。

 

その後、外来診察の棟に行き、退所の書類をいくつか書きました。

そして、病院を後にする際、私はそのメモを待合室のゴミ箱にビリビリに破いて捨てたのです。

 

私が退所することが決まった際、スタッフさんに言われました。

 

「時々懐かしくなるかもしれないけれど、戻ってくる場所じゃない」

「患者さん同士連絡先をもらう場合があるかもしれないけれど、断ち切った方がいい」

 

と。

 

私はその通りにしました。

 

デイケアに通ってからもう10年近くが立ちますが、仲の良かった方たちはいまだに覚えています。

体調が悪いときにふと思い出し懐かしく思うこともあります。

 

ただ、退所したその時から、一度も連絡を取ることはありませんでした。

 

それがお互いのためとも思ったのです。

 

 

そして、再び転院する日が来ました。

 

着の身、着のまま実家に逃げ帰ってきた私は、実家を離れる際も荷物はほとんどありませんでした。

 

朝、私は実家をでました。

 

まるで大学に入るとき、はじめて一人暮らしをするときの気分でした。

母親が私の背中をみて心配する視線を投げかけているのがわかりました。

 

実家から会社のある町までは数百キロの距離があります。

いつもは電車でしたが、闘病生活ですっかりお金のなくなった私は高速バスで帰りました。

 

2011年3月11日のことでした。

 

 

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